「悠仁くん」
「ん?」
「髪の毛乾かしてほしいな」
「いいよ、こっちおいで」
彼女は嬉しそうに俺の前に座って、振り向いて笑った。かわいい。ドライヤーの風で揺れる彼女の柔らかい髪。鼻を掠めるシャンプーのいい匂い。二人でテレビを眺めながら、髪の間にそっと指を差し入れて温風を当てる。いつからか習慣になった。
「熱くない?」
「うん」
そういえば髪、伸びたな。短かった頃も今よりもっと長かった頃も、全部知ってる。いつでもかわいくて、記憶にあるどの瞬間も、俺を好きでいてくれたことが嬉しい。
乾かしている間、彼女は嬉しそうに俺に話しかけてくれる。ドライヤーの機械音で全部は聞こえないけれど、その姿をずっと、相槌を打ちながら聞いている。
「よし、乾いた。今日もサラサラ」
「ありがとう」
そのまま後ろからぎゅっと抱きしめる。首筋に唇を押し当てる。この時間が一番幸せかもしれない。
「……もう寝る?ねみい?」
「うん、…でも、もうちょっとだけ一緒に夜更かししたいな」
「ん、じゃあなんか映画でも観よっか」
その日の気分で選んで、二人で観る映画。もう何本になるんだろう。
映画の内容はもちろんだけど、彼女とどんなシチュエーションで観たかとか、彼女はどんな反応をしてたかとか、そんなことまでちゃんと覚えている。何ひとつ忘れたくないと、思う。むしろ、内容だけ忘れていることもよくある。
同じ時間を共有するたび積み重なっていく小さな記憶たち。昔のことは順番に忘れてしまいそうなものだけど、そんなことは全然なくて、ただ二人用のメモリが拡張されていくような感じだ。忘れたくなくて必死に刻んで、反芻する。
「お、これ配信されてる」
「……あ、最初のデートで行ったときの?」
デイリーランキングに表示されたその映画は、もう何年も前に初めて彼女をデートに誘った時、誘い文句として使わせてもらったものだった。当時かなり話題になってたやつ。あの子も観たいって言っているらしいとどこからか聞いて、それで意を決してチケットを買った。
「懐かしいね、初めて二人だけで遊んだ日」
「……おれ緊張しすぎて映画の内容入ってこんかった」
感想もなにも言えない状態だったから、後日ひとりだけでもう一回観た。でもそれもデートのことを色々と思い返してしまったせいで、全然頭に入ってこなかった。だからどんな映画だったのか、いまだによくわかってない。
「ふふ、そんなに緊張してたの?」
「そりゃするよ、ずっと心臓バクバクしてた」
ずっと好きだった子と二人きり、なんて。
誘いのメッセージを送るのも、大した長さもない文章を何度も何度も読み返して、やっとの思いで送信ボタンを押した。今でもその緊張を覚えてる。返事がこなかったらどうしようと憂鬱になって、返事がきてしまった時のことを考えるとさらに緊張した。約束の日が来るまでずっとソワソワして、当日は最初から最後まで心臓が鳴りっぱなしだったのだ。
それからもうずっと、こうして一緒にいて、今夜もこんな風に誰より近くにいられる。改めて思い返すと嬉しくて、思わず抱きしめる力が強くなる。
「……どうしたの?」
「いや、…なんか、噛みしめてんの」
「なにを?」
「一緒にこうしていられるん、奇跡みたいだって今も思うから」
「奇跡じゃないよ、悠仁くんのおかげだよ」
「……んなことない」
「悠仁くんのおかげで、わたしこうして幸せでいられてるよ」
「……ありがと」
彼女の言葉に目の奥が熱くなることが時々ある。泣きたいわけじゃないから、結構困る。彼女の肩口に顔を埋めてなんとかごまかした。
映画はオープニングが終わって本編に入っていたけど、もうどうでもよくなってしまった。
「……わ、っ、?」
「………あんまそういうかわいいこと言うと、また止まらんくなるよ、おれ」
「あ、…っ」
首筋、耳。せっけんの匂いを感じながら唇を押し当てる。
「こっち向いて」
「……映画は?」
「また今度」
一時停止ボタンを押して、再生を止めた。それで諦めがついたのか、彼女がこちらを振り返る。かわいくて、一度キスしてそのまま身体ごと持ち上げてこちらを向かせた。
「………したいって言ったら、怒る?」
「ううん、…怒らない」
「……ごめん、ありがと」
そのまま唇に噛み付いた。
最初からずっと好きで、これからもずっと好き。何回伝えても足りないくらい。
彼女のことを好きな自分、彼女の隣にいる自分。それだけが確かで本物で。ここにいるときだけ、世界に色がつく。自分が自分でいられる。
好きだと言うたび、彼女は本当に嬉しそうに笑ってくれる。
今日もその言葉を囁いて、この子のことが好きだと、それを実感するのだ。