「だから大丈夫だって」
なるべく明るい声を出したつもりだった。それがだめだった。
「 ……どうしていつも、……そうなの?」
彼女の瞳に、大きな涙が溜まっていく。
反論しようと口を開かけたけれど、彼女は俺の言葉を待たずに「もういい」と短く告げると、そのまま逃げるように寝室へ入って、パタンとドアを閉めてしまった。
「………あー…もう」
ひとつ、大きなため息が出る。
きっかけは些細なことだった。
俺が怪我を治していなかったのだ。彼女に見えない場所の治癒をサボっていた。背中にできた大きな切り傷。普段は服で隠れているし、セックスするときも俺の背中が彼女に見えることは少ない。だから油断した。というか、忘れていた。
傷は一週間前くらいに出張中にできたもので、彼女にしばらく会えないとわかっていたのもあって、そのまま放置してしまった。もうすでに痛みはない。でも、肩甲骨を横断するように残った傷跡を、彼女は見てしまった。
泣かせたかったわけじゃないのに。いつも言われていることだったのに。
寝室のドアノブにそっと手をかける。ゆっくりとドアを開けると、薄暗がりの中、彼女は毛布にくるまって小さく震えていた。時折漏れる小さな息の乱れ。……ずっと、声を殺して泣いている。
ベッドの脇に膝をついて、彼女に目線を合わせた。
「……#name#ちゃん、ごめん」
「…………悠仁くんのばか」
「うん、……ごめん。謝りたい。おれも、隣入っていい?」
「……うん」
拒絶はされなかった。そっと布団を捲って、隣へ潜り込む。背中にそっと手を添えると、彼女の身体が一瞬こわばった。
「ずっと泣いてた? 」
指先で、彼女の濡れた目元をそっと撫でる。
「……きれいな目が、腫れてる」
真っ赤になったまぶたにそっと、一度だけ唇を落とす。
彼女は鼻をすすって、俺の胸元に顔をうずめた。じわじわと、染み込んでくる涙。
「………#name#ちゃん。おれちゃんと謝りたい。だからこっち見て?」
なるべくやさしく囁いた。それでも彼女は首を振るばかりで、こちらを見てはくれない。
身体のこわばりを溶かしたくて、一定のリズムであやすように、背中をとんとんと叩いた。
静かに、彼女の言葉を待つ。
「………怪我しちゃうお仕事なのは、わかってるの」
「……うん、」
「ちゃんとわかってるの。……でも、それに慣れたくないの」
「………うん」
静かな部屋に響く彼女の小さな吐息に、俺はただじっと耳を澄ませる。
「……あのね」
「ん?」
「前にも言ったこと、言ってもいい?」
「うん、いいよ。……教えて」
「わたし……、悠仁くんが自分のこと大切にしないと、悲しくなる、の」
小さく息を詰まらせ、喉を詰まらせるような嗚咽がこぼれる。必死に上下する肩を、やさしくさするしかなかった。
「……うん」
「そういうとき、わたしも大切にされてないって気持ちになるの」
「………うん、」
「だからすごく…悲しいの」
「……ごめん」
「……変なこと言って、ごめんね」
「#name#ちゃんは悪くない、謝らんで」
「……っ、う、……っ、ふ、……」
また涙の波がやってくる。それが収まるまで、じっと待つ。胸が痛かった。
「……悠仁くんが傷つくこと、仕方ないって、思えないの」
「うん、……うん」
「でも悠仁くんは、仕方ないって思ってるのかなって……それが悲しくて、怒っちゃったの」
「うん、……ごめん。約束してたのに、……ごめん」
「……怒ってごめんなさい」
「ううん、全部おれが悪いよ。……◯◯ちゃんを泣かせたおれが悪い」
ぎゅっと、彼女の手が俺のTシャツを掴む。
「ごめんな。……こっち見て?」
彼女は変わらず首を振る。顔が見たい。そっとつむじにキスする。そっと顎を掴んで顔を上げさせた。真っ赤になった目、濡れた頬。くらくらするくらい、かわいい。好きな子が泣いているのに、焦りとは違う理由で、鼓動が速くなる。
「おれは#name#ちゃんが好きだよ。大切にしたいって思ってる」
「……う、ん」
「だから、ちゃんと自分のことも大切にする。今度こそ約束する」
「……ほんと?」
「うん、約束する。絶対。なんなら毎回、おれの身体全部見ていいよ」
「……それは恥ずかしいからいい…」
彼女の身体の力が、ようやく緩む。ほっとして、何度かおでこにキスした。俺のために泣いてくれる女の子を、どうにかして救いたいと思った。
「あのさ、…怒らんでほしいんだけど」
「……うん?」
「……#name#ちゃん、泣いてもすげーかわいい」
「……そんなことない」
「そんなことあるよ。泣いてる顔見るのはつらいけど、……でも、かわいいなって思っちゃって、……だめだな、」
「……だめなの?」
「うん、だめ。だってさ、もう泣かせたくない、悲しませたくないって思うのに、……困らせたいとは思う」
それってどういうこと、と彼女は瞳を丸くして、首を傾げる。
「……悲しい気持ちにさせたことをさ、上書きしたいって思うんだよ。おれが#name#ちゃんをどれだけ好きか、ちゃんとわかってほしくなる」
「……上書き、してくれるの?」
彼女の頬が赤くなる。かわいい。
「うん、さっき約束したこと、絶対忘れないから。だから……あー、…ごめん、キスしていい?」
溢れる気持ちを抑えられなくなって、返事を聞く前に涙の味がする唇を奪う。唇を割って滑り込む熱に、彼女の小さな身体が一瞬跳ねる。
「やっぱさ、他にも治した方がいい怪我がないか、見てよ。おれの身体ぜんぶ」
そう言うと、彼女はやだ、と呟いて胸元に隠れようとした。かわいい。けれど、それが本心じゃないのは知っている。
だからそっと、Tシャツを脱ぐ。視線は逸らさなかった。