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永遠に続くんだろうと、勝手に思っていた。
だから、「彼女と別れることになった」、それだけが送られてきたのを見たとき、一瞬なにが起きたのかわからなかった。なにがあった、どうした、そう聞いてしまいたい気持ちはあったけど、聞かなかった。俺がどうこうできる問題ではないし、虎杖がそれを決めたということは、並々ならない決断があったはずだ。とりあえず飲むか?と返したけど、返事はこなかった。催促はしなかった。こういうとき、アイツはひとりでこもって、感情を整理しようとする。そういうところを知っているから、過剰に心配しないようにした。
で、あの顔だ。
「お前さ、ちゃんと食ってる?」
「……食ってるよ」
本当に偶然、ばったり会えた虎杖は憔悴しきっていて、でも本人はそれを認めなかった。多分、認めたらそれが現実として確定してしまうから、だ。身体を丸めて傷をひたすら隠す子鹿みたいに見えて、さすがに保護したほうがいいんじゃないかと思った。それくらい、今にも夜に溶けて消えてしまいそうな、青白い影を背負っていた。
だからその翌日、虎杖から電話がかかってきたときは、さすがに自身の保護要請かと思ってしまった。
「虎杖?大丈夫か」
「うん」
「いつでも準備はできてるから」
「え、なんの」
「保護」
「ん、誰の?」
「お前の」
「………なんで俺、猪野さんに保護されんの」
電話越しに笑い声が聞こえてきて、昨日の様子とは明らかに違うその朗らかな声色に驚いた。
「大丈夫なのか、お前」
「その……復縁することになってさ」
「マジ?……え、マジで?」
「うん、昨日彼女に会ってさ、ちゃんと話せたから。もう大丈夫」
「………そうか、そっか……よかった、よかったな」
「色々心配かけたのに、ごめん」
「謝んなよ」
「いや、……直接言わなきゃと思って。電話になっちゃってるけど」
「連絡くれて安心した」
「もうちゃんと食ってるから」
穏やかなその声に、ほっと胸を撫で下ろす。昨日の今日で何があったかさすがに知りたかったけど、まあ本人たちの事情もあるだろうし、そもそもこいつはそういう自分の話を全然してこないから、だから聞くのをためらった。
「……あのさ、猪野さん」
「ん?」
「今から飲める?」

店にやってきた虎杖はでっかい紙袋を抱えていて、季節外れのサンタクロースかと思った。
「なにそれ、すげー荷物」
「これ?……彼女にお土産。喜ぶかなと思って」
何でもないことのように、でも目尻を下げて喜ぶその表情を見て、勝手に肩の荷が下りた。もう完全に大丈夫なんだなと、そう納得できた。
ビールジョッキが運ばれてくる。持ち上げて、とりあえず乾杯した。目の前にいる後輩は、昨日とは打って変わって、明るい春みたいな雰囲気をまとっている。そうそう、虎杖は本来こんな感じだった。まだ痩せた身体の線は変わらないけど、明らかに顔色がいい。喉を鳴らして飲み干されたそれをテーブルに置き、虎杖はふと笑った。
「酒、二ヶ月ぶりくらいに飲んだわ」
「……ってことは、別れてから?」
「うん。もともとひとりじゃ飲まねえし、…そもそも、食欲がなんも起きんくて」
素直で優しくて、明るくていいヤツ。なのに繊細で頑固なところがあって、何かに責任を感じたとき、自分を罰しがちだ。助けを求めるのも下手くそ。ひとりでなんとかしようとする。そういうところが存分に発揮されてしまったのだと思うと、今さら心が傷んだ。
「あ、でも今はちゃんと食えてるから」
「まあ、…そんならいいけど」
「ひさしぶりに彼女が作ってくれたご飯で、ちゃんと味がして感動した」
にこにこメニューを見ながら、前みたいに大量の唐揚げを頼む姿。俺が知っている以前の虎杖がそこにあって、なんだか胸の奥がじんわりした。
「全部がさ、ひさしぶりで嬉しいんよ」
「……彼女の方は?元気になったか」
「うん、かわいい。一緒にいるのが奇跡だと思ったら、余計にかわいい」
「……そりゃよかった」
「俺の隣で笑ってるの見てると、…なんか、びっくりするくらいしあわせ」
「泣くなよ、もー」
グラスの縁を見つめて耳を赤くする虎杖。瞳には涙が浮かんでいる。とんでもない惚気をぶち込まれているけど、今日は何もツッコまない。なんか俺まで恥ずかしくなってきた。
「……あのさ、」
「ん」
「俺さ、弱すぎたんよ」
「………そうだっけ」
「ひとりじゃ生きていけねえのに、ひとりの方がマシだって考えてた。弱いくせに」
伏し目がちに、情けなさそうに笑うから。とりあえずジョッキを置いて、向き直った。
「あのな、虎杖。お前は別に弱くねえよ」
「……でもさ」
「大切な守りたい何かがあるってことは、弱くねえだろ。別れてからのほうがお前は弱ってたぞ、明らかに」
「……うん」
「ていうか多分、彼女の方も同じ気持ちなんじゃねえの」
そう呟くと、虎杖は俺を真っ直ぐ見た。
「ひとりじゃ生きていけないって、お互いわかってるから戻ったんだろ。彼女だって、お前のこと守りたいって思ってるよ」
「……猪野さんさあ」
「うん」
「たまにすげーいいこと言うよな」
「オイ、たまにじゃねえだろ」
軽口を叩き合って、結局、以前みたいに腹がはち切れるほど食わせた。そう言えば、こいつに自由に食わせると会計がとんでもねえことになること、忘れてた。まあいいけど。

夜風はもう、昨日のような肌を刺す冷たさはなく、穏やかだ。
「じゃあな。気をつけて帰れよ」
「ありがと、猪野さん」
でかい紙袋を抱え直して、大きく手を振って走り出す後ろ姿。その足取りは、昨日までの重たさが嘘みたいに軽く見えた。迷わず駆けていくその背中は、もう夜に溶けたりしない。彼女の待つ光の方へと進んでいくんだろう。
煙草に火をつけて、俺も自分の家路へと歩き出した。喉の奥に残る酒の熱が、いつもより少しだけ、あたたかく感じた。

末永く、お幸せに。

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2026-02-04