透明

ザーザーと、途切れることなく窓を叩く雨音が、薄暗い寝室のなかに響いている。
「……はぁ」
ベッドの端に腰掛けて、短く息を吐き出す。身体の火照りがようやく落ち着きはじめた肌に、じっとりと冷たい夜の空気が触れる。窓からうっすらと、青い月明かりが差し込んでいた。
「……大丈夫?どっか痛い?」
「ううん、…へいき」
彼女が絞り出した声は本当に小さくて、思わずその身体に手を伸ばす。シーツの上に力なく沈んでいるそれは、細くて白くて、儚かった。乱れた前髪をそっと直す。彼女はゆっくりと目を閉じて、それに従っていた。
さっきまで俺の下で、熱っぽく潤んだ大きな瞳で俺を見つめてかわいい声を漏らしていた彼女は、今はすっかり体力を奪われきって、指先ひとつ動かせずに横たわっていた。最中はめちゃくちゃにしたいと思ってしまうのに、終わった途端に後悔が押し寄せてくる。
「……無理させてごめん」
「んーん、…気にしないでね」
そんなふうに、掠れた声でやさしく笑うから、余計に胸が痛くなる。とりあえず、足元に自分のパンツを発見したので穿いた。彼女の服たちはまだ見つからない。たぶん布団の中に紛れ込んでいる。
「疲れたよな、水飲もっか」
声をかけると、彼女のぱっちりした睫毛が、ゆっくりと微かに揺れた。けれどその頬はシーツに埋まったままで、起き上がるのは難しそうだ。ベッドサイドのペットボトルを掴み、彼女の細い肩をそっと抱き起こして腕の中に収めた。細くて小さくて、こんな身体でさっきまで懸命に応えてくれていたんだと思うと、ますます胸が苦しくなった。
冷たい水を、一瞬口に含む。それから彼女の柔らかい唇に、ゆっくりと自分の唇を重ねた。
「ん……っ、」
少し驚いたように、彼女の大きな瞳が至近距離で開く。俺の体温と、熱い息が混ざり合った水が、彼女の小さな喉へとコクコクと流れ込んでいく。上手に飲めなくてもいいよ。そういう意味で身体をそっと撫でると、彼女の身体の力が少しずつ緩んでいくのがわかる。少しずつ、少しずつ。そうやって飲み干したあと、唇が離れる瞬間、彼女が「ぷは、」と少し苦しそうに息を吐いた。熱っぽく潤んだその瞳が、じっと真っ直ぐに俺を捕らえる。かわいい。
「ん、…ちゃんと飲めた?」
「……うん」
口の端からとろりとこぼれたそれを、舌ですくった。見つめられるだけで、全細胞が溶けそうになる。言葉が出てこない。ただかわいくて、いとしくて、喉の奥がキュッとなる。自分の耳の裏や首筋がじわじわと真っ赤になっていくのが、自分でも痛いほどよく分かった。また心臓がドキドキとしてくる。やばいと思うけど、これ以上彼女を翻弄させるわけにはいかなかった。俺は翻弄されてるけど。
「……ちょっと、身体拭こう」
なんとかそれだけ搾り出して、用意しておいたあたたかいタオルを手に取る。彼女の陶器みたいな質感の身体を傷つけないように、そっと、丁寧に拭いていく。世界一壊れやすい宝物を扱うみたいに。
汗や色んな体液で汚れた彼女の身体は、タオルが触れるたびに一瞬赤くなって、また白い肌を取り戻す。いたるところに自分の付けてしまった赤い痕やうっすらとした歯型があって、付けたのを覚えている個所もあれば、無我夢中すぎて覚えていないところもある。本当に痕になってしまったら、と焦るのに、その反面、このままずっと俺の印が消えなければいいのにと、そんなことを願ってしまう自分もいる。彼女の肌はどんなに俺が汚しても、透き通っていて、素直で、まぶしい。
窓から差し込む青い月明かりに照らされて、彼女の白い肌はそのまま溶けてしまいそうだ。目が逸らせない。
「……#name#ちゃんの肌って、すげーきれい。いつも思うけど」
「そ、そんなことないよ」
「きれいだよ。だから、…いつもおれこんなふうにしちゃう。ごめん」
彼女はふと笑って、俺の髪に手を伸ばした。弱い力で、そっと撫でてくれる。
「いいの。うれしいから、…だからそんな顔しないでね」
うまく返事ができなかった。そういうやさしさに、俺は弱い。いつだって彼女が好きすぎて、大切にしたいと思いながらそれができなくて、壊しそうなところまで進んでしまうのに。それでも、この子は怒らない。
こみ上げてくる熱を押さえつけるように彼女の身体を抱きしめて、おでこに何度もキスした。
身体が綺麗になって少し落ち着いたのか、彼女はゆっくり深呼吸して、もう一度深くシーツに沈み込む。と思ったら、横たわっているシーツにふと触れた瞬間、俺にしがみついてきた。
「……っ、悠仁くん、」
「ん?どした」
「……シーツ……、」
今にも消えそうな、かわいい声。それだけで、事情はちゃんとわかった。
「濡れてた? 」
「……うん」
「タオル敷けばいいよ。すぐ持ってくるから」
申し訳なさそうに赤くなって、布団をかぶってしまった彼女が本当にかわいい。ずっと見ていたい。シーツが濡れているのはこの子のせいじゃなく、歯止めが効かずに彼女を翻弄し続けてしまった俺が悪いのだ。彼女の身体からどんどん溢れてくるそれに、興奮してどうしようもなくなった、そのシーンを思い出して心臓が跳ねる。
「……ごめんね、…シーツ、洗濯」
「なんで謝んの。いいよ、それは明日やるから。今日はもう起きんで。な?」
一度頬にキスして、浴室に急いだ。そして一番大きいバスタオルを選んで、ベッドに敷く。その上に彼女の細い身体をそっと横たわらせた。
「……悠仁くん、やさしい」
「ん?やさしくさせてよ。…すげー無理させたんだから」
横たわらせたときの彼女の身体は、すっかり冷たくなってしまっていて、焦って下着やトレーナーを探した。でもなかなか見つからない。そりゃそうだ、下着姿の彼女の、作為のないその綺麗さに理性を完全にぶっ壊されてしまった俺が、何もかも脱がせてどこかに放ってしまったからだ。仕方がないので、ベッドの脇に脱ぎ捨てられていた、俺のTシャツを布団の中から引っ張り出した。まだ自分の体温が少し残っているそれを、彼女の頭からすっぽりと被せる。それは滑らかな白い肌を滑り落ちるように、華奢な身体を包み込んだ。
「ごめん、寒かったよな」
わかってはいるけど、彼女が着ると、首元はぶかぶかで、袖からは小さな手がちょこんとしか出ない。めちゃくちゃに、かわいい。下着を着せても絶対かわいかったし、俺のTシャツでもこんなにかわいいし、もちろん裸だって世界一かわいんだから、もうどうしようもない。赤くなった俺を眺めながら、彼女はぶかぶかのTシャツの首元に小さな鼻をうずめてにこにこと笑った。
「……悠仁くんの、においがする」
「…………」
脳内で何かが大爆発した、気がする。
「……#name#ちゃん、ほんっとにかんべんして……」
「え、…ごめんね」
「いや、ちげーの、……かわいすぎてずるい……」
思わず出た声は低く掠れていた。彼女の上から布団ごと抱きつぶすように、ぎゅっとその華奢な身体を引き寄せる。これでもかってくらいに、おでこや、赤くなった耳や、頬に、溺れるくらいキスを何度も何度も降らせた。好きすぎて、どうしようもない。
「……おれさ、してるとき、なんつーか、無我夢中なの」
「……うん」
「でも、#name#ちゃんのかわいかったとこ、いっぱい覚えてる。じっと見つめてにこってしてくれたの、めちゃくちゃかわいかった。おれ、本気で心臓止まるかと思った」
「……そうなの?」
「そうだよ。あといっぱい名前呼んでくれんのも…いつもとちょっと声が違ってかわいくて、好き」
「……声、ちがうかな」
「んー、なんか、いつもよりちょっと高くて、すげーえっちな感じがする」
そう言うと、彼女は赤くなって俺の胸にくっついて隠れた。かわいい。
「あとさ、#name#ちゃんの中、すげーあったかくて、…あれが好き」
「だ、だめ、もう言わないでっ」
調子に乗ってどんどん好きなところを並べていたら、ついに怒られてしまった。小さな手が伸びて、俺の胸をやさしく叩く。それもかわいかった。
「ごめん、…だってほんとにかわいかったんよ。……頑張ってくれて、ありがと」
髪をやさしく撫でると、彼女は小さく頷いて、脱力した身体を預けてきてくれる。それだけで満たされる気がした。
ふたりの呼吸音を際立たせるように、窓の外で雨の音はまだ規則正しいリズムを刻んでいる。とんとんと背中を少し叩くと、すぐに寝息が胸元に響き始めた。さっきまで俺を見つめてくれていた大きな瞳が、今はやさしく閉じられている。月明かりはその長い睫毛の影を、白い頬にそっと落とす。あんなに激しくしたのに、泣かせることだってあったのに、それでも今、彼女は俺の胸に身体を預けて、やさしい顔で眠っている。それだけで、生きていいと思えた。
起こさないように細心の注意を払って、最後に一度だけ、その頬にキスを落とす。
「……おやすみ」
そう囁いた俺の声は、窓を叩く雨の音にやさしく溶けて消えていった。

2026-06-27