花火大会

花火大会の帰り道は、同時に駅へ向かう人たちでごった返していた。
今夜も、熱帯夜だ。

彼女の小さな手は熱を持っていて、握った俺の指先が汗ばむくらいだった。その熱を辿るようにぎゅっと指を絡ませて握り直す。彼女が俺を見上げて微笑む。かわいい。そのこめかみからじんわり汗が伝って、きらりと首筋に流れていく。ごくり、と自分の喉元が鳴る。
「……すごかったね、花火。きれいだった」
「ん、綺麗だったな」
「楽しかったね」
「すげー楽しかった。足は?痛くねえ?」
「うん、大丈夫」
嬉しそうに答える彼女は浴衣姿で、もちろんいつだってかわいいけど、今日は困り果てるくらいかわいい。とにかくかわいい。浴衣を発明したひと、花火大会デートは浴衣を着るものだと彼女に教えてくれたひと、ありがとう、大感謝。毎日花火大会でもいい、俺は。
「……花火さ、綺麗だったけど」
「うん?」
「でもやっぱ今日の主役は、おれの隣歩いてる人なんだけど」
そう言ってみると、彼女は照れたように浴衣の襟元をぎゅっと指先でつまんで、歩幅を少しだけ縮めてきた。お互いの距離が縮まる。なんだそれ、めちゃくちゃかわいいんですけど。
「…どした、照れた?」
「……うん」
もちろん俺が言ったことは冗談なんかじゃなくて。正直花火なんかよりも、それに照らされるこの子の横顔を眺めるのに夢中だった。本当に綺麗だった。
一年に数回しか見られない浴衣姿、白いうなじや小さな耳、花火を映す瞳、キラキラした表情で夜空を見つめる彼女の全部がかわいくて。どうやったらこの記憶をとどめておくことができるかとか、一生であと何回見られるのだろうかとか、今ここでこっそり触ったら怒られるかどうかとか、そんなことばっかり考えていた。

駅までの道は人で溢れかえっていて、その人波の流れに従って動くしかなかった。何本か満員の車両を見送って、ようやく乗れたのは花火大会自体が終了してから1時間後のこと。それでもしばらく乗っていると、運良く座ることができた。
「疲れたっしょ?寝てていいよ」
「……うん」
「着いたら起こすから」
俺の肩にもたれかかって、彼女はそっと目を瞑る。襟元から覗く白い素肌に多少感情が揺れたけど、煩悩を振り払う。肩にあたるあたたかい体温を感じながら、満員電車が少しずつ収束していく様子をぼんやりと眺めていた。
そうやって、慣れない下駄を履いている彼女の歩幅に合わせて、いつもより時間をかけて家まで帰ってきた。
「なあ、足、ほんとに痛くねえ?」
「うん、全然平気だったよ。ありがとう」
鍵を開けて部屋に入る。玄関のドアが閉まるカチン、という音と、ロックがかかるガチャ、という音。
それが、合図だった。
「ごめん、ここで、…いい?」
玄関の明かりの下で、彼女の腰を引き寄せる。浴衣越しの体温が密着して、視線が合う。暑さのせいか、それとも花火の残像のせいか、目が潤んで見えた。かわいい。
「……ここ、?」
「うん。…もう、あんま我慢できんから」
返事を聞く前に、唇に触れる。最初は軽く、時々様子をうかがった。潤んだその目と視線が合う。拒否されたらちゃんとやめようと思ってる、んだけど。
「……やだ?」
「う、ううん、」
彼女は小さく返事をして、目を閉じて、身を預けてくれる。それはずるい、と思う。かわいい。だってそれはもう、こっからは遠慮できないっていう合図になっちゃうんだ、ごめん。
抱きしめた腕の中で、浴衣の背中に手をまわして、片手でゆっくり帯を引く。するするとほどけていくそれに、彼女が身体を浮かせた。
「……ごめん、痛かった?」
「…ううん、ちがうの」
「ん?」
「……な、なんでそんな浴衣脱がせるの、スムーズなの…?」
目を丸くして見上げる姿がかわいい。思わずほどくスピードを上げたくなる。
「見た目でわかんじゃん、だいたい。どこほどけばいいかとか」
「……そ、そうかな」
「……本能、かも」
「ほんのう……」
「野生の勘、ってやつかな」
「なあに、それ」
そう答えると、彼女がふと笑ったから俺もつられて笑って、それからもう一度、帯を引ききってやさしくほどいた。
「……だから全部、おれにやらせて」
小さな頷きが返ってくる。
彼女の肩に手を添えて、そっと浴衣を滑らせる。滑り落ちていく衣擦れの音。白い肌が徐々に露わになっていくその景色に、息が詰まる。心臓がバクバクする。喉が鳴る。かわいい。エアコンの風も届かないこの玄関は生温くて、背中に汗が流れる感覚がする。
「外、暑かったよな」
うなじに口を寄せて、舌先でそっと汗をなぞる。その肌はまだ熱い。
「ひゃ、っ」
小さく跳ねた体を、逃がさないように抱きとめた。
「ごめん、…我慢できんかった」
彼女の体に触れながら、何度も唇を落とす。鎖骨、肩先、胸元。反応を見るたびに、少しずつ、彼女が揺れていくのがわかる。毎日毎日、今日が一番かわいいと思うのに、今目の前にいる彼女が世界一かわいい。どういうことなんだ。暑さと熱さ、いとしさでくらくらする。
「今日のさ、髪も、浴衣も、表情も、ほんとに全部かわいかった」
「……うん、」
「おれの理性、めちゃくちゃ試されてた」
「…どうだった?」
「……全然だめ、#name#ちゃんの圧勝」
正直に答えると彼女はふんわりと笑う。かわいい。好きだ。
「責任とって、全部さ、おれにちょうだい」
そっとその頬に触れる。自分の指が、少しだけ震えてた。バクバクが止まない心臓。けど、逃げない。残りの紐は、さっきよりも手早くほどいていく。浴衣って、こんなに紐多いのな。少しずつ、少しずつ。彼女を安心させるように、額にキスしながら。
「……ここ、あちいな」
「…うん」
最後までするには、玄関は狭くて固い。このまま押し切るか一瞬だけ迷って、でもやっぱり疲れ切った彼女の脚を無理させたくなくて、そのまま、抱き上げて寝室へ運んだ。
浴衣がするりと完全に床に落ちる。
シーツの上にそっと彼女を下ろして、静かに抱きしめた。背中に回る、細い腕。
「痛かったよな、ごめんな」
「ううん…大丈夫だよ」
一度顔を上げて、その乱れた髪をそっと整える。汗とシャンプーの匂い。
「……ゆうじくん」
「ん?」
「……なんでそんな、やさしいの?」
「好きな人には、やさしくしたくなるんよ」
「……そうなの?」
「そうだよ、おれ本当はやさしくねえもん」
「……ずるい」
「うん。……ずるいくらい、好きだよ、おれ」
ずるくていいよ。いつだって俺のこと、ずるいって言って怒ってほしい。笑ってほしい。おでこを合わせて答えると、目の前にある彼女の瞳がまた潤む。それを指先でそっと拭った。
「……また来年も見に行こうな、花火」
「…うん」
「んで、かわいい浴衣姿見して」
そっと囁くと、彼女は瞳を潤ませたまま、嬉しそうに笑った。かわいい。

今夜も、熱帯夜だ。

2026-05-27