「あー……」
暗い高専の仮眠室で、無意識に溜息を吐いた。連日の徹夜でさすがに頭も身体も重い。ぼんやりした思考の中で、デスクに山積みになった報告書のことを考える。そして彼女のことも。緊急の招集がなければ、明日には帰れるはず、だ。会いたかった。
少しだけ目を瞑ろうとしたとき、廊下からドタドタと大きな足音が聞こえ、扉がものすごい勢いで開け放たれたかと思うと、補助監督が血相を変えて入ってきた。
「虎杖さんッッ」
「んおっ? ! どうした」
「今すぐ来てください」
「ん、なに、任務?」
「違います、彼女さんです」
「……え」
「彼女さんがお着替え持ってきてくれたんですよーーーーッッ ! !」
今、彼女って言った?
思考が追いつくよりも早く、心臓がバクバクと暴れ出す。
「どこいる?」
「談話室にお通ししてます」
「すぐ行く」
椅子を盛大に引いて立ち上がり、廊下へ飛び出した。足が勝手に動く。特級呪霊を追う時よりも遥かに早い速度で、無我夢中で駆け抜けた。ほんとに、彼女が?半信半疑で角を曲がり、息を切らして飛び込んだ。
そこに――見慣れた、でも絶対にここにいるはずのない華奢な後ろ姿があった。
「……#name#ちゃん」
こちらの声に気づいて、彼女がゆっくりと振り返る。かわいい。
「悠仁くん……っ」
彼女は俺の顔を見るなり、ほっとしたような、申し訳なさそうな、泣き出しそうな顔をする。思わず抱きしめそうになるのを、ぐっと堪えた。
「……ごめんね、お仕事中なのに」
「いいんよ。…どうした?なんかあった?」
「着替え持ってきたの。あと…あったかいお茶と、おやつ」
差し出された紙袋。彼女の白い手をそっと握る。その指先が冷たくて、胸が苦しくなった。
「……こんなとこまで、ひとりで来たん」
「うん。でも大丈夫だったよ」
「こんな夜に、寒いのに」
「……ごめんね」
彼女は眉を下げて笑った。かわいい。
「ここ、山奥だぞ。人いねーし、危ねえじゃん、……何もなかった?」
「全然大丈夫だよ。タクシーで来たもん」
「ていうか連絡してくれたらさ、迎えに行ったのに」
「忙しいんだろうなと思ったから。わたしが勝手に来たくて来たんだもん」
「……でもさ、……いや、ごめん。怒ってるわけじゃねえよ」
「きっとそうやって心配してくれるだろうなって思って、会わずに帰ろうと思ってたんだけど」
「それはだめ。……寂しいから」
「ふふ、……来て大丈夫だった?」
「うん。会えてすげー嬉しい。…めちゃくちゃ会いたかった」
「顔見れてよかった。あんまり無理しないでね」
「………うん」
忙しすぎて、連絡すらまともにできなかった。電波のないところにも今回はしょっちゅう出入りした。約束していたデートも中止にしてしまった。それなのに、彼女は怒らない。怒るどころかこんな山奥までやって来て、俺を心配してくれている。
「……どうしたの?」
「……ぎゅってしたいのを我慢してんの」
「したらだめなの?」
「だめじゃねえけど……ここ職場だし」
「じゃあわたしがわがまま言ったから仕方なく、ってことにしたらいいよ」
彼女は両手を広げてふんわりと笑った。そういうやさしさに、何度救われただろう。
腕の中に、すっぽりと収まる小さな身体。鼻腔をくすぐる、一番大好きな、彼女のやわらかくてやさしい匂い。どんどん腕に込める力が強くなってしまう。
「なんか、……高専で#name#ちゃんと会ってるなんて、夢みてえ」
「うん、わたしも会えて嬉しい」
「……全然連絡できんくて、ごめんな」
「ううん、気にしないで」
一度抱きしめてしまったら、なかなか離せない。このまま家まで連れて帰ってしまいたい。
「……やばい、だめだ」
「どうしたの?」
「……離したくない」
「……うん」
「あと、…ちゅーもしたくなるし」
「……する?」
「……だめ。みんな見てるから」
「えっ」
姿は見えないけれど、呪力の気配でわかる。もうこんな風に抱きしめたりしてるから、今更隠したって意味なんてないかもしれんけど。
「たぶん明日には帰れるから」
「ほんとう?」
「約束する。だからもうちょっとだけ、待ってて」
「……うん、待ってるね」
もう一度腕に力を入れて、その体温を確かめた。大きく息を吸い込む。
「俺の彼女が世界一かわいいの、みんなにバレちったな」
顔を上げてそう呟くと、彼女は嬉しそうに笑った。我慢できなくて、そのおでこに一瞬だけ唇を当てる。
「送ってくよ。タクシー呼ぼう」
「ありがとう」
「家着いたらさ、連絡して」
「うん、……電話してもいい?」
「いいよ。寝るまで話そ」
そうして2人で廊下に出ると、補助監督や後輩術師たちが列になってこちらの様子を伺っていた。
いや、いすぎだろ。