ずっと想像の中の存在だけだったものが突然、目の前に現れた。
しかもそれは想像よりももっと綺麗で、純粋で、眩しくて。はかなくてかけがえのないものを静かにあたためあう姿、互いを慈しみ合う姿、その関係性がずっと続くことを勝手に願ってしまいたくなる。
そんなストーリーが突然やってきた、とある夜の話。
◇
その日はまたひさしぶりに、虎杖も含む五人組で飲んでいた。いつもと違う雰囲気の店にしようということになって、普段集まる場所とは駅から真反対の、三階にあるちょっと洒落たレストランが会場として選ばれた。大きな窓からは夜の景色がよく見えた。
話題は近況報告とか、スポーツの話とか、バイトの話とか、恋人の話とか。代わり映えしないといえばしないけれど、でもお互いにとって大切な会話。そういうたわいない話を気の置けない友人とできるのは本当に楽しくて、時間はあっという間に過ぎていった。
それはビールに飽きて、それぞれがハイボールやワインなどに路線を変更し始めた頃だった。
「…あれ、雨?」
窓にもたれかかってグラスを傾けていた虎杖がふと声を上げる。ガラス面から向こう側を見てみると、たしかに雨が振り始めていて、見下ろす限りみんな傘を差し、足早に歩いている。
「ほんとだ。降ってるな」
「勘で傘持ってきてよかったわ」
「まじ?俺持ってない」
虎杖以外、誰も傘を持っていなかった。日中はとても晴れていたから油断した。とはいえ飲んでいるうちに止むかもしれない。濡れながら帰るのも酔い覚ましにはいいかもな、と誰かが言い出したので、特に気にせずに飲み続けることにした。
「ごめん、ちょっと連絡してもい?」
「彼女?」
「うん、傘持ってなかったかもなと思って」
虎杖は俺たちに一言声をかけポケットからスマホを取り出した。多少酔っていても彼女の存在を忘れない、虎杖師匠。
「なに、彼女もどっかで飲んでんの?」
「うん、そう……あ」
「どうした?」
「めっちゃ近くで飲んでるっぽい」
虎杖がはにかむ。どうやらすぐに返事が返ってきたようだ。
「そういえばさ虎杖、そろそろ彼女のこと紹介してくんねえの」
「たしかに」
「ここに呼べばいいじゃん」
酔った勢いで、向かい側の席三人が虎杖に交渉し始めた。以前と比べると彼女の話を隠さずにしてくれるようになったから、そろそろ会ってみたい。友人としてその気持ちには大いに賛成だった。
「たしかに。一回会ってみたいよ」
「……おれは全然いいけど、一人で決めていいことじゃないからさ」
そう言いつつも、虎杖が嫌そうではないので安心した。そして、たぶん彼女へ確認のメッセージを打ってくれているのだと思う。全員でドキドキしながら返信を待つ。
「どう?返事きた?」
「…ちょうどいま解散したところだから、少しなら顔出してもいいって」
「え、マジ!?大丈夫なら来てほしいな」
虎杖は少々迷っていたみたいだったけれど、それでも最終的には頷いてくれた。
「じゃあおれ迎えに行ってくるわ、降ってるし」
そう言い残し、傘を手に店を出ていく虎杖の姿を四人で見守る。
自分たちで半ば強引にお願いしておいてなんだけれど、まさかこんな事態になるとは予想もしていなかったから、なんとも緊張した空気が自分たちを包み始める。
「誰か一回でも会ったことあるんだっけ」
「ない。遠くからちょっと見かけたことが一度あるだけでさ」
「…なんか、いざ紹介してもらうってなると、めちゃくちゃ緊張するんだけど」
「俺も。これなに?親の気持ち?」
「でもなんか、一回失恋するみたいな気分かもしれない、俺は」
「言いたいことはわかる」
とりあえず四人一同、思い切ってグラスを空にする。そもそも突然この場に来ることになって、彼女は本当は嫌だったりしないだろうか、会ったらどんなことを聞いてみようか、とか。色んなことが頭を駆け巡る。
十分くらい経ったころ、店のドアが開く音がして振り返ると、虎杖と、そして彼女が並んで入ってきた。
「…こんばんは、初めまして」
そう恥ずかしそうに挨拶をする彼女は、なんというかイメージ通りの、可愛らしい女の子だった。いつも想像でしか存在しなかったツーショットが、眼の前にいる。推し、というものに初めて会うひとの気持ちって、こんな感じなんだろうか。酔って多少ふわふわしていた頭がはっきりとしてくる。
虎杖は少し恥ずかしそうにはしているものの、彼女に会えて嬉しそうな安心した顔をしていた。俺たちに彼女の話をするときの、あの柔らかな表情と同じだ、とすぐに気がついた。そうか、いつもあの表情で隣にいるのか。
「ん、ここ座りな」
「うん」
虎杖の隣に静かに座った彼女の表情は少し緊張していて、その雰囲気を読んだ虎杖がすぐ声をかける。
「#name#何飲む?もうお酒はいらん?」
「みんながいいなら一杯だけ、飲もうかな」
そうはにかみながら答えてくれたので、彼女が飲むならと、改めて全員でビールを頼んで乾杯した。
「いつも虎杖がお世話になってます」
「こちらこそ、悠仁くんからいつも楽しいお話聞いてます」
どんな話?と虎杖の方を向くと、いたずらっぽく笑われた。自分たちのいないところで自分たちについての話をされることはとても心地が良く、少しむずがゆかった。
「ふたりは高校時代からの付き合いなんだっけ?」
「はい、そうです」
「一目惚れだったって、猪野さんって先輩から聞いたよ」
笑顔で俺たちの会話を聞いていた彼女が赤くなる。
「ひと目見て、心に風が吹いたみたいで、それからずっと好きだったって」
俺のその言葉に、彼女は何度か大きくまばたきをして、それからさらに赤くなった。どうやらそこまでは知らなかったらしい。
「…風?」
にこにこと見つめる彼女、否定できずに一緒に赤くなりながら頷く虎杖。眩しかった。
「……それくらいおれにとっては衝撃的だったってことよ」
それからふたりの馴れ初め話や高校時代の話をたくさん聞いた。少し変わった高校での寮生活だったこと、同級生が少ない分、よく一緒に行動していたこと、そして付き合うことになったときのこと。虎杖から告白したこと、でもその前から彼女もずっと好きだったこと。知らないことばかりで、そしてその思い出たちがどれも純粋で、今も青春時代の延長にふたりでいることが奇跡のような、でも当たり前のような、不思議な感じがした。
虎杖が話すと彼女が嬉しそうに笑う。彼女が話すと、虎杖もしあわせそうに笑う。そのやりとりが心地よかった。そして彼女と目が合うと、照れて俺たちに話している内容がすっかり飛んでしまう虎杖も新鮮で面白かった。
「俺たちといるとき、いつも#surname#さんのこと好きって言ってる」
「ほんとう?」
「……まあ否定はせん」
「いつもかわいいかわいいって言ってる」
「……それも否定せんけど」
「一緒にいると幸せそうだから自分も幸せだって」
「だー!もういいから、おれの話は!」
「さすがに今日はもうふたりの話しかしないっしょ」
「#surname#さんは、虎杖のどんなところを好きになったの」
「…うーんと、」
やさしくて、寂しがりやで、強いところ。彼女が遠慮がちに答えると、虎杖は腕で顔を隠しながら遮った。こんなに人間が照れているところを初めて見た。
「もう、いいから…めっちゃ嬉しいけど、おれ死ぬから…」
「ふふふ」
そうやって色んな話を聞いて、お互いがお互いを思いやる強い気持ちを思い知る。虎杖が高校時代の話をあまり深く話そうとはしないことはずっと前から知っていた。今日はたくさん教えてくれている分、こちらから強く詮索することはしなかったけれど、話しぶりから察するに、色んな困難があったのだろうと思う。それを一緒に乗り越えてきたこと、その経験がふたりの絆を強くしていること、そういうことがたくさん伝わってきた。
いつか五人で飲んだとき、全員で思ったことを思い出した。
虎杖が幸せなら、それでオッケー!そしてもちろん、彼女も。
どうか末永く、幸せでいてほしい。
そう願いながらトイレに行こうと席を立つ。何気なくやった視線の先に、テーブルの下でそっと繋がれたふたりの手があった。初対面の場で緊張している彼女を安心させるためなのか、好きと伝えるためなのか、そのどちらもか。思わずそう声が出そうになったけれどぐっと堪える。
自分だけが見てしまった幸運さを噛み締めてトイレに行き、そのまま戻ってきたら虎杖にツッコまれてしまった。
「なんでニヤニヤしながらトイレから帰ってくんの」
「ん?何でもない」
ずっと想像の中の存在だけだったもの。それは想像よりももっと綺麗で、純粋で、眩しかった。
はかなくてかけがえのないものを静かにあたためあう姿、互いを慈しみ合う姿。その美しい関係性がずっと続くことを、俺は心から勝手に願うのだ。