前話:hearing
「今日はちゃんと食べた?」
彼女に会うと、必ず聞かれる。この子はいつも、一緒にいないときに俺が何を食べたかを気にしている、気がする。彼女の言う「呪術師モード」になっている俺にとって、確かに食事は単なる燃料補給でしかない。任務の合間に流し込むゼリー飲料とか、冷え切って固くなったコンビニのおにぎりとか。血と泥に塗れた拳を見つめながら咀嚼するそれは、砂を噛んでいるのと変わらない。エネルギーを補充するために、胃へ放り込むだけの作業。そういうふうに過ごしていることが、ちゃんと彼女にはバレている。
「……ん、美味しい」
「よかった、いっぱい食べてね」
「……すげー落ち着く、こういう味」
2日間、ろくなものを口にしていなかったのもあって、凍えていた内臓がゆっくり解けていくような感覚がする。不揃いに切られた野菜や、ちょうどいい塩梅の味付け。それらが喉を通るたび、彼女がキッチンで俺の帰りを待ってくれていた時間が、やさしい重みを持って胃に落ちていく気がする。目の前で美味しい?と首を傾げる彼女が、とにかくかわいい。
「#name#ちゃんも食べな」
「……うん、でも悠仁くんの食べてるとこ見てたい」
「おれみたいなこと言ってる」
「だって、今日はお誕生日だから」
そう言ってやさしく笑う。しあわせで胸が詰まる。
「ケーキもあるんだよ」
彼女がしあわせそうに運んできたのは、真っ白な生クリームに真っ赤な苺の、ホールのショートケーキ。チョコソースで俺の名前も書いてある。自然と、爺ちゃんと過ごした幼い頃の誕生日を思い出す。どうしてもホールで食べてみたかったあの頃、それはなかなか許してもらえなかった。ガキと老人の2人しか食う人間がいなかったんだから当たり前だけど。でもなぜか一度だけ許された年があって、全部一気に食べたことがある。ちなみに食べ過ぎで吐いた。という話をしたら、この子は声出して笑ってくれたっけ。
「すげえ、美味しそう」
「お誕生日おめでとう、悠仁くん」
「………ん、ありがと」
「甘いものって、しあわせになれるね」
もう自分にとって、誕生日なんて何の価値もないと思っているけれど。それでも、おめでとう、と言われると心が揺れること。爺ちゃんと過ごした日々、同級生たちや先生に祝ってもらったあの時の、甘い思い出が蘇ること。そういうことが、自分を生かしているのだと思う。
そして、この子が隣にいてくれることも。
「#name#ちゃんにあーんされたい」
「……えー、恥ずかしいよ」
「おれ、今日誕生日なのに?」
じっと見つめると、彼女の頬はじわじわ赤くなっていく。かわいい。目が好きだ。ほっぺも好き。腕を伸ばして、その白い手の甲を指でゆっくりとんとんする。彼女はようやく降参した。
「……じゃあ、…あーん」
フォークですくわれた一口を、素直に口にする。舌の上でとろける砂糖の甘さと、苺の酸っぱさ。目の前には赤くなったままの彼女。すげえ、しあわせすぎる。
「……たぶんおれ、いま#name#ちゃんが考えてる何倍もしあわせ」
「そんなに?」
「#name#ちゃんはこの破壊力をわかってねえの」
もう一回、とねだると、彼女は困った顔で笑いながら、でもまたあーんしてくれる。誕生日ボーナス、ありがたすぎる。ケーキと彼女、かわいい。
「んなあ、そこ、ついてる」
「えっ、どこ?ふいてなかっ――」
慌てる彼女の唇の端に、自分の指でケーキのクリームをちょんと付けた。真っ白なクリームが、彼女の柔らかそうな唇の上にふんわり乗っている。それだけでかわいい。
「……なんでつけるの」
「ん?味見させて、ってやつやりたくて」
「……もう食べたでしょ」
「味見は何回でもいいんだよ、……やっていい?」
赤くなった彼女が頷くのを待って、自分の指先で掬い取ったその甘さを、今度は自分の唇で直接迎えに行った。
触れた唇は、ケーキよりもずっと柔らかくて、体温を持っている。重なり合う吐息の中は甘い。クリームを舐めとるだけの予定が、それはどんどん深くなっていく。思わず夢中になる。
「ん……っ」
「……っ。……あー、やっぱり」
ゆっくりと唇を離すと、彼女は耳まで真っ赤にして、潤んだ瞳で俺を見上げていた。かわいい。無自覚でそれは、ずるい。
「ケーキより、#name#ちゃんの方がずっと甘いんだよなあ」
「……そんなことない」
「そんなことある。おれにはわかんの」
指先に残った甘さを舐め取って、ずっと赤い彼女の頬を両手で包み込んだ。大きな瞳が、俺だけを映している。もう一度顔を近づけた。それはさっきよりもずっと深くて、甘かった。