sweet memories

突然秋がやってきた。肌寒い乾いた風とか、金木犀の香りとか、そういうものが季節を強制的に塗り替えていく。
半袖で出かければいい日もあればトレーナーを着て眠る夜があったり、寒暖差が激しい日々。俺は身体が丈夫だからなんでもいいんだけど、心配なのは彼女だ。季節の変わり目でよく体調を崩してるの、ちゃんと知ってるから。
今日も彼女は、出かける俺を玄関まで見送ってくれる。でも心なしか、いつもより顔色がよくない、気がした。このタイミングでちゃんと休ませないと、多分風邪引くな。なんとなくわかる。
「……今日さ、おれ早く帰ってくるから」
「うん、」
「あったかいもん食べて、ゆっくりしよう、な?」
油断すると働きすぎたり家事を勝手に全部やろうとしてしまう彼女は、ちゃんとストップをかけないと頑張りすぎる。そういうの、いつも心配になるけど、この役目は嫌いじゃない。むしろ、俺にしかできないことだから、好きだった。
「な、仕事終わったら連絡して」
頷いてくれた彼女に一度だけキスして家を出る。ドアを開けると、涼しい秋の風が一気に吹き込んできた。

午前中はスマホを見る暇もないくらい忙しかった。
彼女のことは頭の片隅でずっと気になっていたものの、連絡できずじまいだった。ようやく昼になって画面を開いたら、彼女からランチの写真が送られてきていたのでほっとする。とりあえず今日は元気そうでよかった。ていうかランチの写真て、かわいい。
「なにニヤついてんの、虎杖」
「……別にニヤついてねえよ」
「どうせ彼女だろ」
「……もうさ、わかってんならいちいち言わんで」
隣の部署の猪野さんは、よく俺をからかいにくる。今日もエナジードリンク片手に俺のデスクにやってきた。用件はだいたいわかる。
「今日行ける?飲み会あんだけど」
「あー…パス」
「彼女か」
「うん」
俺が断ると猪野さんはお約束的に文句は言うけど、それは別に本心じゃない。それがわかるからありがたかった。とりあえず、彼女の調子がまだ良さそうでよかった。だから安心してまた午後の仕事に忙殺されていた、んだけど。
“身体だるいから、早く帰ることにした”
定時をちょうど過ぎたころに覗いたメッセージは、珍しく絵文字もスタンプも何もなく端的にそれだけ書かれていた。送信時刻は30分前だ。
「……あー、やっぱり」
朝の俺の勘は外れてなかった。急ぎの仕事だけ全力で終わらせて、飛び出すようにオフィスを出た。
駅まで迎えに行くのはたぶん間に合わないから、とりあえず彼女には先に家で休んでおいてもらえればいい。俺はスーパーに行って色々買う必要があるし。冷蔵庫に何が残っていたか思い出しながら駅まで足早に歩いた。相変わらず風が冷たい。
これ以上彼女が身体を冷やしませんように。祈りながら電車に乗り込む。
駅前のスーパーと、ドラッグストアにも寄って消化に良さそうな食べ物や冷えピタ、薬、ポカリなどを反射的に買い込んだ。あと、彼女の好きなゼリーとか。そういえばちょうど去年も、こんな風に風邪を引いた彼女のために買い物をしていたことを思い出して懐かしくなる。パンパンに膨らんだ買い物袋をぶら下げて、ようやくマンションまで帰ってきた。
「ただいま」
玄関には、いつもなら綺麗に履き揃えらている彼女の靴が乱雑に脱がれていて、帰ってきたときの様子が伺えた。リビングは真っ暗なままで、入られた形跡がない。
寝室をそっと覗くと、彼女がベッドに倒れ込んでいた。頬を撫でると、そのまぶたがゆっくり開く。その体温はいつもより熱くて、俺を見つめる瞳も熱っぽい。
「……悠仁くん」
「遅くなってごめんな。調子、どう?」
「……なんか、だるくて、頭も痛い…」
「とりあえず着替えな、んでちょっと寝たら、なんか食べよう」
「……食欲ない」
「薬飲むからちょっとだけ食べて。無理せんでいいから」
とりあえず俺のパーカーを手渡して着替えさせた。現れる白い肌に一瞬どきりとするけれど、煩悩を無理やり振り払う。弱っている彼女を見ていると、なんというか、そういう気分にならんこともないけど、とりあえずそれは今じゃない。
「急に寒くなったもんな。とりあえず寝てな、ご飯作ったら起こすから」
その汗ばんだおでこに冷えピタを貼って、一旦寝かせる。俺はキッチンに移動して、簡単にうどんでも作ることにした。
お湯を沸かして、生姜をすりおろして、ネギを切って。どんなものを作れば消化に良くて簡単に食べられて栄養が取れるのか、考えなくても身体が勝手に動く。思えば不思議な話だ。どうしてだっけ。
そんな風に考えて、ふと昔爺ちゃんが作ってくれたうどんの味を思い出した。まだ鼻垂れ小僧だった俺が風邪を引いて学校を休んだとき、爺ちゃんが同じように作ってくれたっけ。普段は食べさせてもらえないゼリーを特別に食べられて嬉しかったこととか、熱のせいで夢見が悪くて目覚めた真夜中に、雪の降る窓を眺めながら汗を拭いてもらったこととか、そのときの爺ちゃんのデカくてゴツゴツした手とか。
「……なんか余計なことまで思い出しちったな」
彼女のいないリビングはいつもより静かだ。彼女の笑い声が聞こえないのが寂しい。俺の名前を呼んでくれるあの声がないのが寂しい。なぜか自分だけがひとり取り残されたような気持ちになる。これも急に寒くなったから、だろうか。昔のことを思い出したから、だろうか。
卵を割り入れて火を止めて、また彼女の様子を見に寝室に戻る。
「……うどん作ったけど、食べれそう?」
「…うん」
ゆっくり起き上がる彼女の身体を支えながら、俺もベッドの端に座る。抱きしめたその身体はやっぱり熱くて、つらそうなので心配になる。
「……なんかね、変な夢見て怖かった」
「熱あるときって怖い夢見るよな」
背中をさすると、俺の胸にぐりぐりと頭を預けてくれる。かわいいなと思う。
「うどん作ってたらさ、昔のこと色々思い出して」
「…うん?」
「爺ちゃんにも作ってもらったなとか、冷えピタもゼリーもさ、やってもらえて嬉しかったことを無意識に#name#にしてんだなと思って」
「……うん、」
「……もらった愛情をさ、今度はおれが好きな人に渡してんだなって思って」
それって本当に、幸せなことだよな。目の前にある大好きな女の子の、熱っぽい身体を強く抱きしめる。
こうして一緒に暮らして、弱ったときに当たり前みたいに頼ってもらえることとか、笑い声の聞こえない空間を寂しいと思えることとか。そういうことを幸せだと呼ぶんだろう。彼女に自分が愛情を渡すたび、自分も同じように過去、愛情を渡されてきたのだと実感できることも。
「……ゆっくり休んで治そうな、おれずっと一緒にいるから」
「……悠仁くんにうつっちゃわないかな」
「おれは丈夫だからうつらんよ、…代わってあげたいくらいだけど」
もう一度ぎゅっと抱きしめて、それから一緒にリビングに移動した。彼女が食べるのを見守りながら、テキトーに映画を選んで流す。
そういえば、寝過ぎて眠れなくなった夜、冷えピタを貼り替えてもらいながら爺ちゃんのチョイスした映画、観たよな。あれは何を観たんだっけ。
そんな風に呼び起こされる思い出話を彼女に聞かせながら夜を過ごす。いつか、この夜を懐かしく思い出すときが来るのかもしれない。そのときもきっと、この子と一緒にいるんだろう。
いとしくなって思わずその髪を撫でたら、彼女が嬉しそうに笑った。

← back

2026-02-09