イタドリとイノセンパイ

十五分ほど前に、虎杖から着信があった。

いつもなら、こちらが出られなかった時はちゃんと要件とか、折り返さなくていいとか連絡が入っているのに、今回は一度の着信のみだった。
大した用事ではなかったからかも、とも思ったけれど少し気になって、折り返しかけてみる。すぐに繋がった。
「…もしもし、虎杖?」
「うわ、ごめんな、折り返しさせて」
「どうした」
「あのさ…今ってなにしてた?」
「家でテレビみてたけど。なに、どっか店にいる?」
虎杖の背後はだいぶざわざわと騒がしくて、どこか居酒屋にいるような感じだった。飲み会中に電話してくるなんて珍しい。
「ちょっと前に五人で飲んだ、あの店にいてさ」
「ああ、あそこな…ん、来いって話?」
「…うん、来れる?高校ん時の先輩と飲んでて…お前の話してたらさ、先輩が会ってみたいって言いだして聞かんくなっちゃってさ」
「いいよ、暇してたし」
「マジ?!」
「すぐ行くよ」
「ちょっと酔っててうるさいから迷惑かけっかもだけど…ほんとごめん、ありがと」
「気にすんなって」
電話を切り、鍵と財布だけ持って家を出る。
夜でも、上着なしで心地よく過ごせる季節になっていた。

三十分後、店に着くと、虎杖はその先輩という人と二人でテーブルを囲んでいた。空のジョッキが数本無造作に置かれている。
「ごめんなわざわざ」
「別にいいよ」
「この人、俺の高校時代の先輩。猪野さん」
「どうも」
虎杖がどの程度酔っているのか、見た目からはよくわからない。対して、この猪野さんという人は顔がほんのり赤く、ご機嫌な様子で俺を迎えてくれた。
「うちの虎杖が世話になってるって聞いて。いつもありがとうな」
「いえいえ、こっちこそなんで」
「もう猪野さん飲み過ぎ、おれ知らんからね」
「酔ってねえよお」
「酔ってるひとはみんなそう言うんよなあ」
先輩に向かって笑いかける虎杖は、迷惑だと言いながらも楽しそうに見えた。
虎杖の高校時代のことはほとんど知らない。確か、東京の山奥にある高専だったとだけ聞いていたけど、それ以上多くは語られていない。先輩のことも、同級生のことも。
「先輩って言っても、六個くらい上だからさ、全然被ってないんだけどね」
「なのにこいつ、腹減ると俺に連絡してくんのよ」
「猪野さんいつも奢ってくれっから」
そういえば、後輩キャラをやっている虎杖を初めて見た。本当に楽しそうで、なんだか新たな一面を知った気がする。それは素直に嬉しかった。
それからしばらく、猪野さんと虎杖の会話を聞いたり、俺たちの大学生活について話したり。猪野さんは初対面なのに話しやすくて、ついつい空のジョッキが増えていく。
「ちょっとおれトイレ。猪野さん、ちゃんと水も飲んでよ」
「へいへい」
そう言いながら虎杖がトイレに向かって行くのを見送った猪野さんは、こちらに居直り、ジョッキを持ち上げた。
「もっかい乾杯しようぜ」
「あ、はい」
「あいつさ、あんま高校時代の話しないっしょ」
「そうっすね、誰か紹介されたのも初めてで」
先ほどまで陽気だった猪野さんが急に居直ったので、つられて俺も背筋を伸ばした。
「…なんつーか、表現が難しいんだけどさ」
「はい」
「……虎杖はさ、人懐っこくていいやつなのに、なんか一人でも生きていけますーって顔、時々すんだよ」
それはなんとなくわかる、気がする。俺は黙って頷いた。
「昔よりその空気感強まってるからさ、まあ色々仕方ないんだけど、気になって」
「……」
「でも久しぶりに会ったら友達の話嬉しそうにするから安心した」
だからどんなやつなのかと思って、無理やり来てもらって悪かった、と謝られた。重量のあるジョッキを静かにテーブルに置き、伏目がちに話す猪野さんは、本当に虎杖を心配する先輩というか兄弟というか親というか、そういうあたたかさを持っていた。
「そういえばさ、虎杖の彼女に会ったことある?」
「いや、ないですね、話だけで」
「彼女も俺の後輩なんだけどさ」
「あ、そうか」
「あいつそこだけはやっぱ秘密主義なんだなあ」
猪野さんはビールを飲みながらニヤニヤしている。
「彼女、すごいいい子でさ」
「なんの話してんの」
ちょうど俺が前のめりになりそうになったタイミングで、虎杖が戻ってきた。
「ん?お前が彼女に一目惚れだった話」
「はあ?!」
「え」
虎杖の驚嘆する声と俺のリアクションが、店内に同時に響く。虎杖の声の方が数倍大きかったけど。
「俺らの高校さ、途中編入とかよくあったんだけどさ、編入してきたその子見て、一目惚れしたんだと」
「ちょ、猪野さん!」
「彼女見た瞬間、風が吹いたみたいだった、って言ってたよな」
「急になに!猪野さん、ストップ!」
虎杖が急いで制止する。その話はたぶん嘘ではないということがわかった。だって、虎杖の耳、赤いから。
「いい話じゃん、知れてよかったよ」
「違うんよ、いや違くないけど、」
「じゃあ虎杖から告白したってこと?」
「うんまあ、…ってそうじゃなくて!」
「本当にいい子でさ、彼女」
「そうなんすね」
「あんないい子確かに滅多にいない気はするな、だろ、虎杖」
「うん…まあ、そうね…うん」
「素直でかわいくて」
「そうね…うん」
「いつもニコニコしてて、な」
「うん…それはまあ…そう」
「何回か2人で長く喋ったことあんだけど、あー虎杖のこと大好きなんだなって感じで…」
「だーー!!もう!!猪野さんそれ以上はストップ!!」
ここまでは何とか口元を押さえて耐えていた虎杖だったが、耐えきれず猪野さんのジョッキを強制的に取り上げた。耳どころか顔も赤い。
「恥ずくて死ぬから…ほんと勘弁…」
手で顔を隠して撃沈する虎杖。思わず猪野さんも俺も笑ってしまった。さらっと「大好き」と言えるのに、誰かに褒められると恥ずかしい。そんな感情が眩しかった。
「虎杖、今度よかったら彼女のこと紹介してよ。会ってみたくなった」
話の流れでそう言ってみたら、虎杖は顔を赤くしたまま頷いてくれた。
「よし、もう一軒行くか!」
「まだ飲むん?!」
そう文句を言いながらも、スマホで店を探し始める虎杖。

このあとちゃんとカラオケまで行き(虎杖の歌が上手すぎてビビった)、しっかり二日酔いになった。

2026-02-07