久々の休み、数日ぶりの彼女。いつも待たせているのは俺だから、怒る資格がないのはわかってる、んだけど。
彼女は「ごめんね、ちょっと待っててね」と言って頭を撫でるだけで、すぐにキッチンへと戻ってしまった。
……待っててね、じゃねえんだけど。
「……なぁ」
耐えきれなくなってソファーを立ち、キッチンへ向かう。エプロン姿でトントンと包丁を動かしている彼女(かわいい)の後ろに回り込み、その華奢な腰に両腕を回して抱きしめた。
小さくて、やわらかくて、いい匂いがする。 あったかい。思わず肩口に顔をうずめた。
「………あー…いい匂いする」
「悠仁くん、今野菜切ってるから危ないよ」
「んー……」
「ねえ、リビングで待ってて?」
「……やだ、ここで待つ。っていうかなんか手伝うよ」
「もうすぐ終わるから、大丈夫だよ」
さらに腕に力を込めたのに、彼女はにこにこするだけで、またまな板に向き直ってしまう。構ってもらえない。
「何作ってんの」
「サラダだよ」
「……おれのことより、そのトマトの方が大事?」
「トマト入ってた方が美味しいよ」
「………それはそうだけど」
そういうことじゃない。
「……ちょっとだけこっち向いて」
そう言っても彼女の視線はずっとまな板に向かっていて、面白くない。寂しい。わかってる。彼女は俺がリクエストしたカレーを一生懸命作ってくれて、サラダまで用意しようとしてくれているのだ。俺が、いつも#name#ちゃんのごはんを楽しみにしてると言ったから。最高だ。最高にかわいくて、やさしい彼女。
「一回だけ、ちゅーして」
「もう、……わかったよ」
ようやく彼女がこちらを向いてくれた。かわいい。その目が好き、揺れるまつ毛が好き。小さな耳にかかった柔らかい髪も、白い鎖骨のラインも好き。じっと見つめると、彼女はゆっくり笑った。
「……なんでそんなに見るの」
「ん、かわいいなと思って」
「ふふ、……ありがと」
そう言って彼女は少し背伸びし、やわらかい唇を俺の頬に押し当てた。そしてすぐ、またまな板に戻ってしまう。
「今ので終わり?」
「もうごはんできるから」
「…………」
ご飯より食べたいもんがあんだけど。そんなことを言うと怒られそうなので黙っている。でも、面白くない。彼女の視線と指先を独り占めしているトマトが鬱陶しい。
魔が刺して、指先をほんの少しだけ動かした。薄く、小さく呪力を練り上げる。
スパッと、まな板の脇に置かれたトマトが真っ二つになる。犯人はもちろん俺だ。
「わ、……なに?」
跳ね上がるように振り向いた彼女が、作業台の上と、その横でわざと素っ気ない顔をして立っている俺を交互に見比べる。
「……悠仁くんでしょ」
「あー……ごめん。手が滑った」
目を逸らすと、彼女はこら、と俺のおでこを小突いた。かわいい。
「滑るわけないでしょ、術式で遊んじゃだめ」
「……遊んでねえよ、トマト切れたしいいじゃん」
「トマトに八つ当たりしないで」
ぷりぷり怒る彼女はかわいい。そう、ぷりぷり、という擬音が似合う。怖くないから、ずっと見ていたくなってしまう。ようやくこっちを向いてくれた。
「別に八つ当たりしてない」
「してるよ」
「違うって」
「怒ってるの?」
「怒ってねえってば」
そこまで言ったら、もう止まらなかった。 彼女の手首を掴んで、そのまま自分の方へ引き寄せる。
「……だって悠仁くん、ずっと眉間にしわ寄ってたもん。ムムム、って顔してる」
「………ムムム?」
人差し指で眉間を擦る。彼女の手も伸びてきて、その細い指が俺のと重なった。じっと俺に向けられる眼差しが、かわいくて仕方がない。こんな風に視線を独占できるなら、俺は何だってする。
「危ないから、もうあんなことしないで」
「……だってさ」
「だって、じゃないよ。危ないよ」
「……ごめん、反省してる。もうしねえから」
「なんでムムムって顔してたの?」
「寂しかったから」
「……わたしが料理してたから?」
「そうだよ」
正直に答えると、彼女はやさしく笑った。
「……料理しててキスしなかったから、寂しかったの?」
「うん。……笑いすぎだってば」
「ごめんね。お腹空いたって言ってたから、早く作ろうと思って」
知ってる、ごめん。でも料理なんて、どうでもよかったんだよ。そう言おうとした。彼女の小さな手が伸びて、俺の頭をゆっくり撫で下ろす。それで全部引っ込んでしまった。
「……よしよし」
「っ……急になに」
不意打ちすぎて、耳の付け根が一気に熱くなる。彼女はさらに俺の髪をくしゃくしゃとやさしく掻き混ぜた。顔まで熱い。でも、心地よくて嬉しい。ずっとこうしてほしかった。だからそのまま動けなかった。
「……悠仁くんって」
「ん?」
「撫でたらおとなしくなる、わんちゃんみたい」
「……おれ、犬?」
「うん。おっきくてかわいい犬」
彼女はまた楽しそうに笑った。
「……まあそれでいいけど」
別に何だっていい。俺のことだけ見て、笑ってくれるんだったら。こつん、とおでこ同士をくっつけた。こうするのが好きだ。彼女の視線が自分だけのものになるから。
「……もっかいさ、キスしてよ」
「悠仁くん、キスするの好きだね」
「当たり前じゃん」
だって、好きだし。すげー好きだし。そう呟くと、頬を赤くして笑ってくれるのがすごくかわいくて。しばらくそれを見つめていたら、彼女の両手が俺の頬を包み込んで、そのまま、俺の唇に自分のそれをそっと重ね合わせてくれた。
「……はい、これでおしまい」
「えー、やだ。もっかい」
「ご飯食べてからにしよ。ね?」
「今のはノーカウント、もっかい」
「なんで、カウントしてよ」
「もっかいだけ」
そうやって食い下がると、彼女は俺の唇に指を当てて笑った。
「悠仁くん、待てだよ」
そのかわいさに思わず待ってしまったので、俺は本当に犬なのかもしれない。