目が覚めたら知らない天井だった。
そんな経験をまさか自分がするとは思わなかった。少しだけ痛むこめかみと、馴染みのない真っ白な寝具。大きな窓からはまぶしいくらいに朝日が差していて思わず目を細める。たぶんここは、どこかのホテル。
こうなった事情をなんとか理解しようと、昨日の記憶を辿ろうとしたところで、ひょこっと誰かが顔を出した。
「あ、起きた?」
誰かじゃない、虎杖くんだ。
そうだ、昨日虎杖くんと一緒に飲んだ、そこから詳細を思い出したかったのに、彼の格好があまりに衝撃的で、脳の動きがストップした。
わたしを優しく見つめる虎杖くんはなぜか服を着ておらず、身につけているのはボクサーパンツだけで、タオルで濡れた髪をラフに拭いていた。つまりお風呂上がりというかシャワーを浴びていたということなのだろうけど、重要なのはそこではなくて、どうして彼とホテルの一室にいて、しかも彼がシャワーを浴びる状況になっているか、ということ。考えられることなんて、およそひとつしかない。大人の、あれです。
「ごめん、虎杖くん!」
「ん?」
「ほんとに昨日のこと何も覚えてなくて」
「うん、」
「ごめんなさい、たぶんいろいろ迷惑かけちゃったと思うんだけど、あの、そんなつもりなくて、」
「待って、#name#さん」
しどろもどろになるわたしを虎杖くんが制止した。遠慮がちにベッドのふちに座って、わたしをまっすぐ見つめる。
「何もしてないから、安心して。誓う。ほんとに」
彼の表情は、嘘をついているようには思えなかった。そもそも虎杖くんはこういうときに嘘を言うひとでもないし、わたしの身体は少しも痛くも何ともなくて、ほんとうにぐっすりと眠っただけなのだと、目が覚めてきてようやく理解できた。
「でも、ごめんね、きっと迷惑かけたよね」
「んーん、悪いのはおれの方。ごめんな、もっと早く止めればよかったんだけど」
そう優しく笑って、彼はお水を差し出してくれた。促されてゆっくりと口にする。それは乾いた身体にじわじわと染み渡って、昨日の記憶も少しずつ蘇ってきた。
虎杖くん含め、友人四人で飲みに行くことになって、わたしは数日前からすでにドキドキしていた。そして当日、約束時間直前にそのほかの二人が来られなくなって、急遽デートのような形になってしまって。そこからわたしの緊張は振り切れたまま、無理にお酒をたくさん飲んで、潰れてしまったのだろう。
虎杖くんとはどんな話をしたのだっけ。二人だけで話すのは初めてだったのに、不思議と話題には困らなかったと思う。虎杖くんの、優しいのにドライでさっぱりした考え方が好きだと思ったし、映画の話も楽しかった。もっと一緒にいられたらいいのに、もっとたくさん虎杖くんのことを知れたらいいのに。最後のほうはずっとそう思っていた気がする。
「……あの、虎杖くん」
「ん?」
「なんかわたし、帰りたくないって、いっぱい言ってなかった?」
「うん、言ってた」
虎杖くんはふんわり笑った。
「絶対帰りたくないって言っててさ、どうしたもんかと思って。でも住所わからんかったし、…おれんちは絶対だめっしょ、んでとりあえずここに来て」
「…ご、ごめんなさい」
「そしたら#name#さんすぐ寝ちゃって、だからなんもなかったんよ、ほんとに」
「…よかった」
「それにさ、酔ってんのかわいくて止められんかった、だから全部おれのせい」
それは、どういう意味なのだろう。自分の顔が熱くなるのがわかる。彼がここまで運んでくれたときの身体のあたたかさや、近づいて初めて知る彼自身のにおいがだんだんと思い出されて恥ずかしくなる。よくよく見ると、自分はきちんとホテルのパジャマを着ていて、化粧も落としてある。こんなこと、昨日のわたしが自分だけでさっさとやったとは思えない。どこまで手伝わせてしまったのだろう。そしてわざわざそれには触れないところが、虎杖くんらしくて、その優しさに胸が苦しくなる。
虎杖くんはちゃんと休めたのだろうか。そこで初めて、クイーンサイズのベッドなのに、わたしが寝ていた側しか使われた形跡がないことに気がついた。
「虎杖くん、ちゃんと寝た?」
「ん、そっちのソファーで寝たから大丈夫」
指差したソファーはどう考えても虎杖くんが収まるには小さくて、わたしに気を使って無理やりそこで寝たのだとすぐわかった。酔い潰れて眠る人間のことなんか、気にしなくてもいいのに。それでもきっと、「なにもしてない」の証明のために、わたしが戸惑わないように、そうしてくれたのだろう。
「#name#さんさ」
「うん?」
「昨日ずっとおれのこと好きって言ってた、あれほんと?」
「え」
頰に熱が集まるのがわかる。焦る頭をどれだけ捻っても、思い出せない。その気持ちは事実だけど、認めてしまっていいのだろうか。どう答えていいかわからなくてそのままフリーズしていたら、ベッドの淵からこちら側へ、虎杖くんが少しだけ近づいた。
「嬉しかったし、このまま流れでって一瞬期待したけど、でもおれ死んだじーちゃんから順番だけは守れって教えられてるから」
「…虎杖くん、」
「だから昨日はなんもせんかったけど、あれが嘘じゃないなら、昼のデートからやり直したい。いい?」
その瞳はどんな時よりも真剣で、視線に温度があるとしたならそれはとても熱くて、その熱はわたしにまで移る。こくりと頷くと、虎杖くんはほっとしたような顔になった。
「虎杖くん」
「ん?」
「お昼のデートって、今日?」
「おれはそれで嬉しいけど、無理せんでいいよ」
「……無理してない。したいです、デート」
ずっと一緒にいたいから。そう言ってみたら虎杖くんは本当にしあわせそうに笑った。
「そしたらおれ、コンビニで化粧品とか買ってくるからさ、ゆっくりしてな」
優しい提案に頷こうとしたとき、ベッドがギシ、と揺れて、虎杖くんの唇がわたしのおでこに触れた。ちゅ、と音をさせてすぐに離れていくそれに、一瞬なにが起きたのかわからず、ただ彼を見つめたら、今度は頰にも、二回。
「あとはデートで告白してからにさせて、な」
そう言い残し、部屋をあとにする虎杖くんの背中を見送る。
ドキドキと、いつまでも心臓の音が鳴り止まない。
大変なひとを好きになってしまったのかもしれない。気がついたときにはもう遅くて、わたしはこのひとに、これからどんどん夢中になっていくのだ。