秘密主義

呪術高専、いつもの控室。その攻防は突然始まったのだ。
「あー……やっと終わったー……マジで今週、ずっと移動ばっかで腰いてえ」
控室のソファーに深く背をもたれかけた。天井を見上げて深いため息を吐く。連日の遠征続きで、流石に体が重い。数日家に帰れていないけれど、今日はまだ、高専で待機しなければならない。
「アンタ、帰ってきたんなら報告書くらいチャッチャと出しなさいよ。新田ちゃんが困ってたわよ」
向かいの椅子に浅く腰掛け、スマホをいじっていた釘崎が、目線すら上げずに呆れたような声を出す。釘崎もさっき別の任務から戻ってきたばかりのはずだ。
「わかってるって。でもさー、俺ああいう事務作業が一番苦手なんよなあ」
「そもそもアンタ割と代行させてるでしょ。バレてんのよ」
「だってさあ……なあ、伏黒」
「……俺を巻き込むな。俺はお前と違って期日通りに出してる」
別のソファーに深く腰掛け、淡々と書類を整理していた伏黒が、冷たく吐き捨てた。
「ひど〜、俺だって今日中にちゃんと出すって」
笑いながら、無意識にポケットに手を突っ込んだ。 指先に触れたのは、家を出るときに彼女が綺麗に折りたたんで持たせてくれたハンカチ。もう数日家に帰れていない。連絡はしょっちゅうしてるし、隙を見て電話したりしてるけど、それでもいつだって、やっぱり会いたい。手の中の柔らかい感触に心が安らいだ。もっとゆっくり触れようと、ハンカチを引っ張り出した――その時だ。
ハンカチの端に引っかかるようにして、ポケットの奥に転がっていたずっしりと重みのある金属パーツが、滑り出て床に落ちた。
コン、と硬い音を立てて木の床に転がったのは、マンションのスマートキー。
「あ、……やべ」
慌てて拾い上げ、表面についた小さなホコリを袖口で丁寧に拭き取る。ふぅ、と息を吐いてポケットに戻そうとした、その時。
「……ちょっと、アンタ」
じっと俺の手元を凝視していた釘崎が、すっと目を細めて身を乗り出してきた。
「ん、なに」
「なに? じゃないわよ。……それ、なによ」
「え? 鍵だけど」
「見ればわかるわよ ! あんたの家の鍵、そんなんだったっけ」
釘崎の鋭い視線が、手の中にあるスマートキーに突き刺さっている。 あ、やべ。反射的にそう思った。別に隠してたわけじゃない。うん。言うタイミングを完全に逃していたというか、それだけ。別に深い理由はない。
「……あー、うん。ちょっと前にさ、引っ越したんよね」
いつも通り、さりげなく軽めのトーンで答えてしまった。住む場所が変わっただけ。ただ、それがダメだった。
「はぁ? 引っ越し? ! いつよ?」
「いやまあ、…色々あってさ。……1ヶ月前くらい?」
「結構経ってるじゃないの、そもそもどこに引っ越したのよ? ! 」
「いや、えーっと……」
流されるまま、特に考えずに引っ越し先のエリア名を口にした。瞬間、控室の空気が凍りつく。え、なんで??
釘崎が目を見開いたまま固まっている。 ふと横を見ると、書類を見ていたはずの伏黒まで手が止まっていて、信じられないものを見るような目で俺を見つめていた。え、何?
「……は?」
釘崎の口から、掠れた声が漏れる。
「そこって、あの高層ビルとかタワマンとかばっかり建ってるエリアじゃない」
「……まあ、そうかも」
「アンタあんなところに部屋借りてんの ? ! 」
「あー、いや、借りたっつーか、なんか」
「……まさか」
「あそこ、賃貸とかなくてさ。……買った」
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ???????」
控室の天井がバリバリと割れるんじゃないかっていうくらいの、釘崎のデカすぎる絶叫が響き渡った。思わず耳を塞いだ。
「買った?アンタ正気?買ったって何よ?マンションを?」
「うん、だって借りれねーならしゃーねーじゃん」
「ジャンプ買ったくらいのテンションで言うんじゃないわよ」
「痛ぇっ ! 」
バシバシと猛烈な勢いで俺の肩を叩いてくる釘崎。容赦ない。マジで痛い。
「ちょっと伏黒、アンタも何か言いなさいよ ! こいつ頭おかしくなってるわよ」
助けを求められた伏黒を見ると、釘崎の反応とは真逆で、冷静な表情で、でもうっすら笑っていた。
「お前……そこまでするか、普通」
「伏黒も笑ってんじゃないわよ ! つーかなんでそんなデカい買い物を私たちに黙ってたのよ」
「いやだってさ、 わざわざ『俺、マンション買いました ! 』なんて言う必要ねーじゃん、いちいち買い物の報告しねーだろ、普通」
「普通の買い物じゃないから言えって言ってんのよ ! 」
釘崎は息を荒らしながら、乱暴に自分の髪をかきむしった。
「……っていうか、ちょっと待ちなさい」
急にハッとした顔をした釘崎が、鋭い眼光で俺を睨みつけてくる。何、怖いんですけど。
「……一人でそんなデカいタワマン住むわけないわよね?部屋いくつあんの?」
「え? あー……まあ、広めの間取りだけど……いくつだっけな」
「虎杖アンタ、それ、同棲でしょ」
「えっ」
反射的に声が出た。いきなり核心を突かれるとは思いもよらず、心臓が跳ね上がる。やばい。顔に出ないよう、必死に表情筋をコントロールする。
「……………まあ、そうだけど」
そう答えながら、無意識に一気に顔に血が上るのが分かった。耳の先まで熱い。バレた。いや、隠すつもりはなかった、と言えば嘘になる。彼女の存在、生活、やりとり。そういう些細なものたちを、自分だけのものにしておきたいような、大切なものを守るみたいな、そんな感覚。
そこから釘崎のマシンガントークは止まらなかった。
「そもそもアンタ、前に一回紹介しただけで役目を終えたって思ってんじゃないでしょうね」
「………え」
「私らも気ぃ遣ってあんまり突っ込まないでいてあげてたの、わっかんない? ! 」
「……いや、それは」
「アンタのその秘密主義、なんとかしなさいよ ! 」
「そんなんじゃねえって……なんていうかさ、言うタイミングがなかっただけで、ごめん」
「そもそもなんでいきなり同棲なのよ」
「いや、いきなり、っていうか」
「まあ虎杖、どうせアンタが切り出したんでしょ」
詰問されて、俺は口を噤んだ。なぜなら、それは事実だからだ。
1秒でも長く彼女と一緒にいたいと、思ったから。 一緒にいられないのが寂しくてたまらなかったから。朝起きた時も夜寝る時も、いつでも隣にいたかったから。
……なんて、絶対に言わねえけど。
「ほらね。で、なんでなの。きっかけは」
釘崎はとことん事情を聞くモードに入っている。こうなると絶対に逃げられない。それは経験上理解していた。テンパった頭で、納得してもらえそうなテキトーな理由を考える。
「……ほ、ほら、なんかあれよ、節税対策」
「……は?」
「な、なんか安くなるじゃん、一緒に住んでたほうが?ぜ、税金とかさ」
必死の思いで繰り出した俺の主張に、控室が奇妙な静寂に包まれた。……この雰囲気が一番気まずい。
釘崎は「アンタバカなの?」と言いたげな、この世の終わりみたいな顔で俺を見つめてくる。なんでだよ。
書類の整理に戻っていたはずの伏黒が、再び静かに顔を上げる。
「……10年以上のローン組んでねぇなら控除受けてねぇだろ。知らないことは喋んないほうがいい」
「………………スミマセンデシタ」
「アンタは誤魔化し方が雑なのよ ! 」
「……………………ごめんって。ちゃんと話すから」
「最初からそうしてりゃいいのよ」
釘崎は呆れたように椅子にドカッと座り直し、深く息を吐いた。
「……で、どうなのよ。同棲生活は」
「……どうって」
脳裏に、あのあたたかい部屋の光景が浮かんだ。
帰ると「おかえり」と笑顔で迎えてくれる彼女の姿。 ご飯を「おいしいね」と嬉しそうに食べてくれる横顔。 疲れて帰ってきた俺の首元に手を回して、やさしく頭を撫でてくれる体温。
ぜんぶが、好きなのだ。
「……しあわせだよ」
嘘ついたって、意味ねえし。口から漏れ出たのは誤魔化しようもない本音だった。慌てて片手で口元を覆ったけれど、ゆるみきった頬の緩みも、手の隙間から溢れ出る熱も、隠しきれてはいない。わかってる。
「惚気けてんじゃないわよ ! 」
「痛ぇっ ! だからなんで叩くんだよ !」
本日一番の力で肩を叩かれ、俺は思わず叫んだ。
「釘崎が聞いてきたんじゃんかー! どうなの、って言われたから正直に答えただけだろ ! 」
「なんなのよそのふにゃふにゃした顔 ! 気持ち悪い ! 」
「ひでえ ! 事実なんだからいいじゃん ! 」
「今度絶対招待しなさいよ ! 」
「…………………………いや、それはまだいいかな」
「ふっざけんな ! 」
ギャーギャーと叫ぶ俺と釘崎の横で、伏黒が静かにため息を吐いた。
「……ハァ。お前ら、近所迷惑だから少しトーン落とせ」
そう言いながらも、伏黒の口元は少しだけ柔らかく緩んでいた。
「……虎杖」
「ん?」
痛む肩をさすりながら振り返ると、伏黒は少しだけ不器用な顔をして、ボソッとつぶやいた。
「……お前がそんな風に笑えんなら、高い買い物した甲斐もあったろ」
「……おう、ありがとな」
俺が笑うと、伏黒は軽く鼻を鳴らして、また書類に目を落とす。そういうやさしさが、ありがたかった。
「ちょっと伏黒 ! 美談っぽくまとめようとすんじゃないわよ ! 私は絶対タワマン遊びに行くからね ! 」
「だから急に来られたら困るって ! 」
釘崎の攻撃を必死に避けながらも、なんとなく、胸の中はじんわりとあたたかった。

このやりとりを彼女に伝えたら、きっと楽しそうに笑ってくれるだろう。
早く彼女に会いたいと、思った。

…………思っていたら、ニヤニヤすんなと怒られた。

2026-08-04